戦において武士の体を護る甲冑には、邪悪なものを退ける力があると信じられてきました。
そこで今回は、独眼竜政宗の鎧具足と、創業52周年を迎えられた「人形の昇玉」の鎧飾り「黒漆五枚具足(くろうるしごまいぐそく) 伊達政宗用 三分之一」をご紹介します。
独眼竜政宗が愛した黒漆五枚具足とは?
戦国時代を代表するこの鎧具足は、映画「スターウォーズ」シリーズのダース・ベイダーのデザインヒントとなったことで世界的に知られています。
ここで伊達政宗(1567~1636)とこの鎧具足との関わりを見てみましょう。
伊達政宗は「奥州の覇者」、「独眼竜」と呼ばれ、天下人の豊臣秀吉や徳川家康をも恐れさせた戦国大名で、奇抜なファッションが「伊達者」としておしゃれの代名詞となったことでも有名です。
政宗が19歳から着用した鎧具足がこの「黒漆五枚具足」です。
東北地方での合戦(1585~89)から、小田原参陣(1590)、朝鮮出兵(1592・3)、長谷堂の戦い(1600、関ヶ原合戦時の上杉家との合戦)、大阪の陣(1614・5)と、歴戦で着用しています。
スペアを含めて四領の存在が知られていますが、そのうち一領は政宗とともに埋葬されていました。
また一領は現在仙台市博物館が所蔵して国の重要文化財に指定されています。
政宗が天下絵師狩野探幽に描かせた肖像も、この鎧具足を着用して馬に乗る姿でした。
晩年にはこれに自筆の短冊を添えて一幅に仕立てて眺めたことが知られています。
また、政宗の死後作られた彼の木造(瑞巌殿蔵、戦災により焼失)もこの鎧具足を着用し床几に座る姿でした。
仙台を象徴する仙台城跡に建てられた伊達政宗の銅像(昭和10年(1935)建立、昭和28年(1953)再建)も、この鎧具足を着用した騎馬像となっています。
伊達政宗と言えば「黒漆五枚具足」と自他ともに認める、いわば彼の象徴ともいえるものなのです。
黒漆五枚具足ってどんな甲冑?
次に、この「黒漆五枚具足」について詳しく見てみましょう。
金色の細長い三日月の前立てが印象的で、兜は六十二間の筋兜(62枚の鉄板を重ねて、合わせ目を筋状に加工して補強した兜。強度に優れています)で「宗久」の銘があります。
胴は黒漆塗の鉄板五枚を合わせたシンプルな作り、雪ノ下の作と言われる頑強なもの。
袖は簡略化して鎖帷子が直接出る形、草摺(くさずり)は九間六段下がりで動きやすい構造になっています。
この形式の胴を政宗が推奨したので、伊達家で広く採用されていました。
後に「仙台胴」と呼ばれ伊達家中を象徴する具足です。
また、全体が真っ黒なのにも意味があります。
幼い日に病気で片目の視力を失った政宗に、師である虎哉和尚が語って聞かせたのが中国唐末の隻眼の武将「李克用」(856~908)の故事でした。
彼は大変武勇に優れた武将で、後に後唐を建国したのです。
彼や彼の率いる軍は黒い軍装でしたので「鴉軍(あぐん)」と呼ばれて大いに恐れられたのでした。
政宗はこの故事にならって自らの甲冑と家中の武具を黒で揃えました。
伊達家の真っ黒な軍装が、当時何かと派手好みだった京の町衆に強烈なインパクトを与える結果となり、伊達家がおしゃれの代名詞「伊達者」とよばれるきっかけとなったのです。
このように、伊達政宗が愛用した黒漆五枚具足は、独眼竜と恐れられた彼の象徴だったのみならず、東北の雄藩・仙台藩と伊達家のシンボル的存在と言ってよいでしょう。
「黒漆五枚具足 伊達政宗用 三分之一」とは?
ここまで見てきたように、戦国武将伊達政宗を象徴する鎧具足でした。
この姿を三分の一スケールで忠実に再現したのが、昇玉の「黒漆五枚具足」です。
細部にまで徹底してこだわり、愛媛県宇和島市の伊達博物館(政宗の息子伊達秀宗が作った宇和島藩伊達家伝来品を収蔵する)の監修を受けて製作しています。
独眼竜が愛した甲冑・黒漆五枚具足を忠実に写したのが「黒漆五枚具足 伊達政宗用 三分之一」です。
この鎧飾りを人形の昇玉で実際に見ることができます!
なお、「黒漆五枚具足 伊達政宗用 三分之一」についての詳細は、こちらをご覧ください。
人形の昇玉 〔東京都台東区柳橋1-24-5〕
営業時間: 9-17時 (土日祝日は休み)
JR浅草橋駅東口から北東方向に徒歩5分、東京メトロ浅草線浅草橋駅A5出口から東に徒歩2分。東京三菱UFJ銀行浅草橋支店 裏。
人形の昇玉には、伊達政宗の鎧具足飾りのほかに、源義経の赤糸縅大鎧、緋縅大鎧があります。
こちらもぜひご覧ください。
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